VICTIM 7寸釘と5寸釘。 見比べて、まず7寸釘の方を右手に持ち、地面に置いた左手の甲に、勢いをつけて突き刺す。 慎重に狙ったつもりだが、骨に当たって表皮だけがめくれ上がった。たいした傷ではないのか、骨で横滑りをしたのか、あまり出血していない。 男は舌打ちして、今度はもっと正確に、指の骨と骨の間を突き抜けるようにしなくてはと、自身の皮のめくれた左手を凝視した。 新月の晩は泥のように暗く、空気は淀みきった水底のように重たい。 できるだけ釘の端を持ち、一度釘先を目標部分に当て、それから、勢いよく振りかざす。 鈍い音を立てて、釘が皮膚に打ち立てられた。 今度は狙った通りに骨の間を通過している。だが、貫通はしていない。片手だけでは、それほど力がでないのだ。男は、周囲を見渡して手ごろな石を見つけ、金槌替わりにして釘を打った。 がつん、ごつん、ぐしゅ、と妙な音と感触が男の身体を振るわせる。 程なく、釘は手のひらを貫通した。地面にまで釘が喰いこんでしまったので、左手は大地に貼り付けられてしまった。 これでは困る。 持っていた石を置き、釘を抜こうと懸命に力を込めたが、最後の一撃がよほど強かったのか、なかなか抜けない。うぬ、と低い呻き声をもらして、男は釘を引き抜いた。今度もあまり血は出なかった。 次は5寸釘だ。二回目ともなると、今度は失敗なく別の骨の間に釘を刺すことに成功した。同じ要領で貫通させ、そして引き抜く。 頭の何処かが激痛に悲鳴を上げている。自らの手で自らに釘を打ちつける。 正常な神経では行えない行為だ、ともう一人の自分が嘲笑しているのもわかる。 途中で止められる行為ならば、最初からできる筈もない。男の精神と痛覚は、まるで他人に預けたかのように無感動だ。 血と脂のついた釘を十字の形に交差させ、ネクタイでそれらを結ぶ。余った布地で輪を作り首に通すと、簡易な十字架のペンダントができあがった。ただし、それは上下が反対の、逆十字である。 「死者は立ち上がり、我がもとへ来たれり」 貫通した穴からどくどくと流れる鮮血を気にする様子もなく、男は膝まづいて手を組み、地に祈る。 「天地万物を業火に抱く御獄の住人よ。陰気なる棲家を立ち去りて、三途の川のこなたへ来たれ」 みしり、と目の前の地面が鳴動した。 「汝、もし呼ぶ人を意のままに知うるならば、請う、汝が百王の名に於いて、彼を我が元へ出現せしめんことを」 脈打つ地面の土を取ると、男はそれを頬に、肩に、逆十字架に、穴の空いた手のひらになすりつけた。じわりと土に血が染み込む。辺りは暗く、男はそんな些細な変化には気がつかない。腕を組みなおして、ひたすら男は喚ぶ。 「朽ち果てし遺体よ、冥りから目覚めよ。亡骸より踏み出でて、万人の父の名の元に行う我が要求に応えよ! ・・・我、汝を求め、会いまみえることを得ん・・・我、汝を求め、会いまみえることを得ん・・・我、汝を求め、会いまみえることを得ん・・・我、汝を求め、会いまみえることを得ん・・・我、汝を求め、会いまみえることを得ん・・・我、汝を求め、会いまみえることを得ん・・・我、汝を求め、会いまみえることを得ん・・・我、汝を求め、会いまみえることを得ん・・・我、汝を求め、会いまみえることを得ん・・・我、汝を求め、会いまみえることを得ん・・・我、汝を求め、会いまみえることを得ん・・・我、汝を求め・・・」 柔らかい土が、腐臭とともに盛り上がった。横たわった操り人形を上体だけ引き起こしたような、不自然極まりない体勢で、地中からヒトガタをしたモノが現れる。 肌は脂と腐った血、その他得体の知れない体液でどろどろと崩れ、黄ばんだ骨があちこちから外界を覗く。あるべきはずの眼球は既に溶け、眼窩からは脳や神経の類がしとどに漏れ出している。死んだ細胞が発する淀んだガスが、周囲の空気を侵していく。わずかに残る服の痕跡には、あちこちに黒い染みがついていた。 「ああ」 男は声を漏らした。喜びに、恐怖に、この歪んだ奇跡に。 「ああ・・・ああ・・・一郎くん・・・・・・」 腐臭にもその遺骸にも、男の抑制心は働かなかった。下半身は未だ地中に埋もれている少年の上に圧し掛かり、迷いも戸惑いもなく抱きしめる。 「良かった・・・良かった!一郎くん、ねえ一郎くん。話をしていいかな?」 死体からの応えはない。 「さあ、これを見てくれないか」 片腕で腐乱死体を抱き、もう片方で胸の逆十字を指し示す。 「蘇呪法ではね、この十字架が重要な役割をはたすんだ。本当は人骨が良いのだけど、入手できないようなら、罪人を打った釘でも良いそうだ。・・・中世じゃあるまいし、普通はそんな釘はないだろう?でもね」 くつくつと、喉を鳴らして実に楽しげに語って聞かせる。 「罪人ならここにいるんじゃないかってね!私は自分で気がついたんだよ!わかるかい?私だってね、少し学びさえすれば、このくらいのことはできるんだよ!」 眼窩の中に、ぞろりと体形の長い蟲が入っていった。 「あ、こら!」 男は慌てて眼窩に自らも指を突っ込んだ。蟲の感触を捕らえると、引きずり出して握りつぶす。蟲が足掻くように男の指先に噛み付いた。 「・・・っ。全く、なんて蟲だ」 こんな時にだけ痛みを感じる。それに男は気づいていない。 ふと見ると、少年の神経の一部が指に付着している。蟲を引きずり出した時についたのだろう。胸の高鳴りを自覚しながら、べろりと舐めてみた。 舌先から全身に、言いようのない快感が伝わっていく。そっと、眼窩に指を入れる。掬い出すような仕草だ。慎重に指を引き抜くと、指先に黒く変色した柔らかいものがついている。 それを一息に口に入れる。 「君が考えていた事の一部でも、わかるようになるだろうか?ねえ、わかったら、君は私を否定しないよねえ」 腐敗した少年のこめかみあたりに頬を摺りあわす。男が動くたびに、表皮ごと髪の毛がばさばさと落ちていった。べたりと少年の肌が頬に付く。己に付いた皮膚もそのままに、今度は少年の黒い唇をかじった。なかば歯がむき出しになってはいたが、その歯の冷たい感触が、余計に恍惚とさせる。 男は唇を噛み千切り、咀嚼し、飲み込んだ。首筋から滴る腐った血を飲み、溶けた皮膚を吸い、骨を舐め尽す。あまりにも甘美なその味に、男は朦朧としながら行為を続けた。 東の空がぼんやりと明るくなって来た。 ずぶずぶと少年の身体が、否、身体だったものが、土に沈んでいく。 「・・・行ってしまうのか、一郎くん」 少年からもぎ取った左手首の骨をしゃぶりながら、男は呟いた。少年は服を全て剥ぎ取られ、四肢をばらばらに千切られ、この男によってかなりの部分を『食され』ていた。 「これも、返さなければならないのか。手元においておきたいんだけどね」 左手首の骨をぞんざいに投げる。軽い音がして、手首は少年の胸元に落ちていった。 なおも少年は土に沈んでいく。男の行った邪法は、朝になれば効力を失う。泥だらけのスーツのまま、男はふらりと立ち上がった。逆十字を解き、ネクタイをしめ直す。水玉模様だったそれは、最早もとの色がわからないくらいに汚れていた。 沈み逝く少年の身体に、二本の釘を刺すと、佐藤はふらふらとその場を後にする。 振り向きもしなかった。 |