細くて長い形の整った指が日常の動作に動く。涼しげで端正な顔立ちに穏かな笑顔を浮かべながらぼくの顔を覗きこむ。
いつも何の気無しに見る光景。
ある日。なんてことのない筈だった日常でぼくは生まれて初めて欲情の火を灯した。
それは何のことはない動作、ぼくが散らかした本を端から片付けていく、本を拾う、その手。
棚の上の方に本を戻す為伸ばされた腕と、首。彼の横顔と耳介と襟足、それに続く緩やかな稜線を描くその首筋にぼくの目が釘付けになったのを彼は知らない。
白い、清潔さの象徴のようなシャツから覗く妙にきめ細かな肌、男性らしい筋張った質感のそれ。あれほど人の身体をなまめかしく凄艶に思ったのはこの時が初めてだった。
所謂、これがヰタ・セクスアリスという奴だろうか。本当はもっと見つめていたかったけど視線に気付かれる前に目を逸らさざるを得なかった。恐らく見ていた理由を問われて正直に答えるとしても「見惚れていた」はぼくの口から出るに相応しいとは思えない言葉だから。
しばし思考能力のすべてを失い。己の胸の音が大きく聞こえる。
ぼくはあのとき確実に彼の肌に、その長身の伸びやかな身体の線に欲情していた。
その感覚を覚えたのが同性でありぼくからみればずいぶんと歳上である彼に対してだというのはぼくの中で内憂にならなかったかといえばそうでもない。少しは自分の未来の性的嗜好に疑念を覚えなくもなかった、いや疑念というよりは胡乱か。
どちらにせよぼくはぼくの将来に「不安」などは感じない。
元々ぼくは自身のことをあれこれと悩む性格ではない、いずれ内省的になるまでもなくそう感じた事実をぼくはすんなりと受け入れるだろう。
たかだか実質10年も生きていない、未だ精通すらない子供が何を生意気なと思う、自分でも。
もしぼくが彼に「お前とセックスしたい」と言ったら、きっとお前は複雑な顔をして「犯罪者にはなりたくないんで最低でもあと10年は待ってください」と苦い笑いで返すだろう。
彼にとってはぼくは主君であり、分が上であり、また子供でもあり同性であり、とうてい性欲を向ける対象にはなり得ないからだ。
なるほどお前らしい。
良識の徒であるお前にぼくの心の内は決して理解することは出来ないだろう。確かにぼくの身体はまだ子供だ。だけどぼくはお前を抱いてみたいと思っている。


精通もしていない子供の分際で不相応なと自分でも可笑しい。だが彼は知らない。形の整ったその長くうつくしい指がぼくの劣情を煽ることを。あまり露出を好まない彼の、服の隙間から時折見え隠れするその肌に彼の生々しいセックスを感じる。「艶然とした」などというそれとはまったく程遠い筈の彼の筋張った身体が、ぼくの倍も大きい手が、頬に影を落とす長い睫毛が、その全てが。
ああなんてうつくしくて淫靡で清廉なのだろうか。
彼は想像もしていないだろう。
だがぼくは想像する。
子供の身体のぼくではない、しかしこの欲情をそのまま投影した大人の体を有するぼくが、その姿は漠としたものでしかないが。ぼくにはやけになまめかしく映るその形の美しい彼の骨っぽい手を掴まえて。情欲の火に身を任せて。理性を深淵に封印して。想いを遂げることを。お互いの体を無理矢理繋いで、それは本当に不自然で滑稽だろう。それでも良い、互いの体で快楽を貪りそしてオーガズムに達することを望む。ぼくの中の情欲の炎が、日に日に大きくなっていく。現実にはありえない淫靡な妄想が、ぼくの心をたまらなく高揚させ頭をかき乱す。支配欲のそれとは違う。例えば男女のセックスにおいて、男は女をセックスで支配しているつもりかもしれないが多分そうではないとぼくは思う、男は女を抱いているつもりで実は抱かれているのだ。侵しているつもりで本当は女に飲込まれている。
だがぼくは彼に支配されたい訳ではない。それに決して大人の男に対する憧憬などでもない。いずれはぼくも成長するのだし射精を経験するのだから。夜になるとぼくは自分の未成熟な性器に指を絡めて想う。射精こそはないものの性感くらいは今のぼくにもある。そしてぼくは彼とのセックスを夢想する。それは酷く甘美で、そして決して叶わぬと知っているからこそ、酷い孤独と空虚をもたらす。わかっていても止められない。
彼が何時も着ている白いシャツが彼の「処女性」を殊更強調しているようでならない。白は純潔であり処女の象徴だから。
むろん、彼とて今の年齢に至る迄にセンシュアルな経験の一つも無くはないだろう。しかしセックスの上で「女」としての立場に立ったことが無い以上はまだ何も知らぬ純情の象徴である「処女」なのだ。それはぼくも同じではあるが。人は誰しも完全なセックスを持っている訳ではないと思う。時に抱きたい事もあるだろうし抱かれたい事もあるだろう。肉体的な意味ではなく精神的な意味でのはなしだが。だからそんな複雑な精神構造を持つ人間は広い意味でみな両性生物だ。
南洋に住む両性生殖を行うある海洋生物はパートナーといざ生殖を行う際、どちらが雄になるかを決めるのはその時の性欲の強いものだとされる、ぼくのほうが彼に対する情欲の火は強いはずだからぼくが雄なんだろう。「処女」を穢したいのは雄の本能なのかもしれない。


白い肌。
彼を盗み見る。
その手。
その形を美しいと思う。
俯いたときに垣間見える整った襟足。
本当にきれいだ。
本の間からその姿を盗み見て、そうやって叶わぬ思いに身を焦がす。じりじりと。ただ燻っているだけ。ぼくの想いは何処へも行き場が無い。直ぐ側にいるのにどんなに手を伸ばしても届かない。
こんな燃え盛る劣情にいつまで耐えられるだろうか。



ある日。ぼくは珍しく学校に行った、特にこれと言った理由があった訳ではない、一応は学校に籍を置いているという些細な義務感からか。しかし彼はいまだにぼくが学校へ行くと言うと喜ぶ、小学校で学ぶ程度の知識などぼくにとっては子守り歌にも等しい。だがそれでも彼は学校という“日常”を持つ事は良い事だという、知識だけでは得られない“体験”を持つ事は必要な事だと。どんな小さな一見意味があるとは思えない経験でも決して無駄にはならないと。彼は友達を作ると良いと言った。同年代の子供と?話し相手にすらならないだろう、なんの得になる。ぼくが不満気に言えば彼はそんな事はないと否定する。友達というのは損得で作るものではない。単純な居心地の良さ。自分を知って傍にいてくれるその純粋な愛と接するのは何にも代え難い良い経験になる。その中からしか得られないものもあるのだと。
どうやら彼は人格形成という過程においてぼくはまだまだ途上だとでも思っているらしい。まあ、それは確かにそうかもしれない。ぼく自身まだ足りないものはたくさんある、欠陥もある、間違いもある、矯正すべき事、学ぶべきことも多くある、それは自覚しているから否定はしない。

彼がぼくに求めるものは“純粋な愛情”らしい。
ぼくが彼に求めるものは“不純な情欲”らしい。
性行為は本来「大人」の特権だ。
情欲の象徴である大人のお前がとても純粋で、
純粋の象徴である子供のぼくがとても不純だ。
何とも形容し難い可笑しな錯誤。

それとも彼を純粋だと思うのは単純にぼくの彼に対する理想の押し付けだろうか。


その日の帰り道、人気の少ない通りに、一台のワゴンが止まっていた、窓ガラスには全てスモークがかかっている。ぼくは学校で担任が言っていた注意をふと思い出した、と言っても真剣に耳を傾けていた訳でもなく机に凭れて夢うつつに聞いていただけだったが。最近この辺で車から下校途中の子供に声をかけて連れ去ろうとする不審者が頻繁に出没しているのでくれぐれも注意するようにと、集団での下校を命じられたがぼくは煩わしいので従わなかった。ぼくはある期待を持ってわざと車の横すれすれを通るようにしてゆっくりと歩いた。

ぼくが車の後部座席のスライドドアに差し掛かった所で狙い済ましたように勢いよくドアが開く。そして大人の男の強い腕がぼくを捕らえた、あっという間に車内に引き込まれドアを閉められる。目撃者は、いない。ぼくは自分の思惑が、僅かな期待が現実になったことに高揚した。逃げ出そうとすれば簡単に出来たがぼくには初めから逃げるつもりも抵抗するつもりもなかった。これを期待していたのだから。男がその大きな手でぼくの口を塞ぎながら低い声で威圧するように言った、騒いだら殺すぞ、と。男の呼吸は荒かった。

剥ぎ取るようにして車の床に投げ落とされたランドセルが軋んだ音を立てた。

その声と手の感じからして、男は意外に若いのではないかと思う、多分、あの彼とほとんど同じくらいじゃないだろうか。だがぼくを押さえつける手は彼の繊細なそれとは違って大きく武骨な印象を与えた、かえってその事に安堵する。車内は薄暗く、後部座席に押し倒されたぼくにのしかかっている男の顔は影になりはっきりとは見えなかった。だがその目に宿る劣情の火に共感を覚える。暗い密室で男の目だけが異様にギラついている。きっとこの男はぼくなのだろう。ぼくの心の中にある情欲の具現なのだ、さもなければよりによってこのぼくを捕まえたりする筈がない。男からすれば子供なら誰でもよかったんだろうが。
ぼくは男の意図をよく理解していた、だからわざと怯えた振りをしてやった。今にも泣き出しそうな顔を作って身体を震わせる、怖くて声も出ないといった有様だ、これが男の望みだろう。男の左手がぼくの細い首を掴み、いつでも締め殺せるのだと暗に脅しをかける。右手がぼくのシャツを捲り上げて幼い骨格を薄い皮膚で覆っただけのこの身体を撫で回す。男の手は汗で湿っていた。乾いた彼の繊細な手とはやはり違っている。男のさも後ろ暗い黒い服も、彼の清潔な白いシャツと対照的だ。ぼくは殊更そのことに安心感を覚えた。劣情に支配されて理性をなくし凶行に走ったこの醜い男は紛れもなくぼくなのだ。そして男がぼくにしようとしている事はぼくが彼にしたい事だ、今のぼくは「彼」であり、この男は「ぼく」だ。早く、早く、ぼくの情欲を満たして欲しい、このぼくを蠱惑してやまない官能的で甘美な妄想をより現実的なものにして欲しい、早く。嫌がるふりをしながらも淫猥な期待に身体が熱くなるのを感じていた。

男が、ぼくのほとんど色のない乳首を指や舌ででこね回してぼくを壊乱させる。ぼくは何をされているのか分からないというような振りをする。ただ与えられた刺激に懊悩しているように身を捩らせる、いや、実際ぼくは愛撫される毎に高ぶりを感じていた。男の手がぼくのズボンにかかる、ボタンが外されチャックが下ろされる、ぼくの貧弱で棒のように細い足から簡単に下着ごと取り去られた。意識が下腹部に集中する。男がぼくの両足首を掴んで足を開かせる、まだ二次性徴の芽吹きの兆しさえ見せないそこを誰かにじっくり観察されるのは思った以上に羞恥心を呼び起こすものだ。だがそれがまた一段と興奮を喚起する。
男がぼくの足の間に顔を埋め、ぼくの未熟な性器に舌を這わせる。思わず喉の奥から短い悲鳴にも似た声が漏れた。そうやって愛撫されているうちに次第に理性の箍がはずれ快楽にのみ没頭していく。頭の中に霞がかかりまともな思考が出来なくなる。ぼくはただ無心にその刺激をいっそう求めるように腰を動かす。男がぼくの足をほとんど頭の横に来る程に高く持ち上げる。そこになにやらぬるりとした感触の液体を塗られた。それを肛門付近だけでなく指を中に進入させて丹念に塗りこんでいく。押さえ切れない高揚感に酔いしれる。男の武骨い指が2本3本と数を増やしてぼくの中をかき回す。狭い中を押し広げられる痛みと疼き。時々足が勝手にびくついて空を蹴る。狭い空間に淫猥な音と荒い息遣いだけが聞こえた、ぼくは何度も叫びそうになる。早く。と。

興奮しきった男は堪りかねたように性急な動きでズボンの前だけ肌蹴て充血しきった性器を解放した。ぼくの腿をつかんで自分のところへ乱暴に引き寄せる。そして無遠慮に男の性器がぼくの中に入ってくる。圧倒的な圧迫感と強烈な刺激に耐えかねて今度こそ悲鳴を上げた。ぼくが求めていたのはこの感覚だ。男を飲み込んで支配している。ぼくは男の僅かに露出した首元に手を伸ばした、そして男の皮膚に直接爪を立てた。想像する。傷を付けられているのは「ぼく」の首だ、そして爪を立てているのは「彼」だ。もう何も知らぬ純真な子供の振りは出来なかった。ぼくはもっともっとと叫んだ、ぼくが「彼」にそうしたいように。ぼくが「彼」にしたいことを全部ぼくにして欲しかった。だからそうするように命令した。このぼくの分身である醜い欲望の塊に。そうやってぼくは世にも甘美で官能的な想像に意識を飛ばす。圧倒的な、気を失いそうなほどの快楽の中で、自分と「彼」を重ねる。この男に抱かれながら。「ぼく」は「彼」を抱いている。
ぼくが更なる快楽を求めて男に要求するたびに、男の顔から最初に見た飢えた獣のような劣情の火が、覇気が次第に失われていく。男の肉体的な快楽が増大するのに反比例してその表情は次第に何か得体の知れないおぞましいものでも見たかのように歪められていく。恐れているのだ。このぼくを。自分より弱い存在だと思っていた小さな子供に逆にセックスで主導権を握られ、支配され食われていく。そして気の毒なことにこの無様な男はぼくに食われながらもぼくの世界からは爪弾きにされている、今、ぼくの世界には「ぼく」と「彼」しかいない。
男はぼくが痛みと恐怖に泣叫んでくれることを望んでいたに違いない、純真な子供を大人のセックスで征服し踏みにじりたかったに違いない。だが今のぼくは淫婦のように両足を左右いっぱいに開き、死に物狂いで腰を振る、快楽を貪る得体の知れない怪物だった。
男はこの怪物に怯え、もう無茶苦茶にぼくの身体を揺さ振り、傷つけてなんとかして壊そうとした、でもぼくはそうされることに例えようもない程の快感と喜びを覚えた。身体が融けそうになる。何度も叫んだ。頭がおかしくなりそうだと。
やがてぼくは死にそうなほどの快感を持って絶頂を迎えた。頭の中が真っ白になる、意識が一瞬途切れる、それはある種の死なのかもしれない、一瞬の、擬似の死。

耳障りな自分の呼吸音で擬似の死から目覚める。






暑い、それにやけに息苦しい、当然か、狭い密室であれだけ激しく動いたのだから。呼吸が整うまでぼくは四肢を投げ出して寝そべっていた。男が今どんな顔をしているのかは想像が付くし、べつにあえて見たいとも思わない。薄闇に目が慣れてくると色々と余計なものが露見してしまう。
それは、いい、とにかくぼくが勝ったのだ、子供のぼくが大人の男にセックスで勝った。くだらない些細な優越感だ。だが正直に言えば気分が良い。身体からほとんどの力が抜けてしまった気がしたが多分、まだ動けるだろう。余韻に下肢がジンジンと疼いていたが痛みはそれほど感じていなかった。しかし身を起こすと痛みと痺れが走った、一瞬息が詰まる、目線を自分の足の間に落とすと、どうやら少し出血していたらしい、ぼくの血が混じった男の精液がこぼれてシートを汚していた。別に構いやしない。

ぼくは放心したようになっていた男に向かって手を差し出した。金、だよ金、いくら持ってるんだ?ぼくはぼくが征服した男を見下しながら言う。当然だろう?ぼくは元々も他人にベタベタ触られるのは好きじゃない、それを我慢してやったんだから見返りを要求するのは当たり前だ。
その言葉に男はますますあっけに取られた顔をしていたがやがて僅かに肩を震わせながら本当にサイフを取出した、なんとまあ、滑稽な眺めだろう。男がもたついているのでぼくは少し苛立ってサイフを男の手からもぎ取った、中に万札が2枚、千円札がざっと4枚ほど見えた、ぼくは最初万札の方だけを取った、だがふと考え直して千円札の方も全部取った。
数枚の札を手にしながら、ぼくの値段はこんなものか、ずいぶんと安いものだなと思う、なんだか可笑しくて笑いが込み上げてきた。まあいいさ、もともと金が目当てじゃない、ぼくはただもう飢えていて誰とでも良いからセックスしたかっただけなんだから。ただ性欲を一時的にでも満たせればそれで良い、そういう意味では趣味と実益が適っていたのだからこれで勘弁してやろう。でも子供を強姦するような下劣な男には釘を刺しておく必要がある。この際だからただより高いものはないと親切に教えてやっておいたほうが良いだろう。財布を返す前にカード類と一緒に入っていた免許証を見た、男の本名を知った、それから住所に生年月日、別に興味があるわけではなかったが一応記憶しておいた。カラのサイフを男に突っ返す。本名を呼んでやった。男はますます怯えた目でぼくを見ていた。

男の首にぼくが付けた爪の跡が残っているのだけを確認して満足した。

情事後の一時的な余韻が完全に抜けると、ぼくはさっさと服を着てランドセルを拾い自分で車のドアを開けて出て行った。
もう振り返ることもしない。あの男は用済みだ。この先一度だって存在を歯牙にもかけないだろう。そしてあの男ももう二度と子供を餌食にしようなどと思わないだろう。純真無垢と言う名の幻想を抱いていた子供の中にはぼくのような化け物がいるのだ。怖くて手も出せないだろう、ずたずたになったなけなしのプライドを引っさげていつまでも生き恥を晒すがいい。
もしももう一度懲りずにこんなことをするようなら、その時は覚悟するんだな。



ある日。彼が食料品の買出しに行くというのでぼくは付いて行くと言った、少し思うところがあったから。
人の行き交う至極平和な商店街を二人で歩く。何か食べたいものがあったら言ってくださいね、と彼が言う。常々彼はぼくの食が細い事を心配している。そうだな、確かにぼくの小食と偏食は酷いかもしれない、放っておけば3,4日食べてない事もざらだ。あんまり極端に部屋に篭っていると彼が生きているのか死んでいるのかと怒鳴り込んでくるから最近はそんな事もないけれど。

ぼくの目に商店街にありがちな大判焼きの屋台が止まった。なあ、あれ、食べたくないか?ぼくは彼に聞く。甘いものお好きでしたっけ?と彼が意外そうな顔をする。別に。ぼくは短く答えて両手を荷物でふさがれた彼を置いてさっさとその露店へ歩いた、そして小倉餡入りのやつを二つ頼んだ、ぼくはポケットから千円札をつかみ出して渡した。あの時やはり万札だけ取らなくてよかったと思った、細かい方が子供には使い勝手がいい。釣銭と大判焼き二つが入った包みを受け取る、ぼくの後を追いかけてすぐ側に来ていた彼がますます不思議そうな顔をする。お金なら出しましたのに、と。別にいいんだ丁度持っていたから、それより温かいうちにこれを食べよう。とぼくは急かす。はあ。と彼は首を傾げる。

商店街の真ん中にある広場のベンチに二人で腰を下ろした。紙袋の中から一つ取り出して彼に渡した。お腹が減ってたんですか?彼が聞く。別に。とまたぼくが言う。何でもいいからはやくそれを食べろ。とまた急かす。さすがに不審に思ったらしい。何をたくらんでらっしゃるので?そう聞きながらぼくの顔色を伺う。何もたくらんじゃ無いさ、いいから食べろ。ぼくも随分強引だ。

しばらく逡巡した後、彼は怪訝そうにぼくの顔を横目で見ながら、毒味でもするかのように恐る恐ると言った感じでやっと一口それを口にした。咀嚼して嚥下するまでじっと見守った。その一口を飲み込んでまたぼくの顔色を伺う。ぼくはそれに満足した。これでいいですか?彼が聞く。うん、それでいい。ぼくも手にしたそれを頬張った。



お前は知らなかっただろうけどね、それはぼくが身体を売って作った金で買ったんだ、だからそれを食べたお前は完全に共犯者だ。あの日ぼくとセックスした相手は紛れも無くお前だったんだ。お前はぼくの首に爪の跡を付けた。



首の辺りにちり、と痛みが走る、幻想の傷からの甘い痛み。



ぼくは込み上げてくる笑いを隠しきれずにそれを食べながらずっとクッ、クッ、と肩を揺らしていた。
そんなぼくを彼はなおいっそう不思議そうに見下ろした。





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だけど、変わらず。彼のシャツは白いまま。