と犬




僕は王様だ。

この国を統べる主だ。
皆が僕を敬愛して当然だし不平を抱く輩など片っ端から始末してやる。
この僕に逆う者は誰であろうとみんな殺す。
みんなが僕を暴君だというが、それもいい、憎まれるのも強さの証だ、むしろ心地よい。

かつて腹心だった男が逆心を抱き反乱軍を組織した、当然そんな計画など事前に漏れていた、捕らえて長い杭で肛門から首筋まで串刺しにしてやった。
死に切るまでずいぶん長い事苦しんだっけ。それで僕に対して恨み言も吐いたっけ「暴君め、地獄に落ちろ」と。
馬鹿が。先に地獄に落ちたのはお前の方だ。
その男の美しい妻は身篭っていた。
妻は子供の命だけは助けて欲しいと懇願したけど僕に逆らった男の血筋など残していい筈が無い。妻は産道を幾重にも頑丈に縫い閉じられ、とうとう陣痛が始まったが産み落とせる訳もなくそのままひたすら苦しんで最後には力尽きて赤ん坊共々死んだ。いい気味だ。

僕が全て人間の運命を決めるのだ。
誰も彼もがこの僕の手の中にあるんだから。
この国の人間はみんな僕の為だけに存在していなくてはならないんだから。






「薔薇は空が創ったんですよ」

低く澄んだ、穏かな声でそう言いながらお前が花瓶に薔薇を生けている。
長い睫毛
長い指
長い足

ああ、きれいだな。
架空の神話や挿話に興味など無かったけどお前が話すととても新鮮に聞こえる。
かつて、海と空が「どちらがより美しいものを創れるか」を争い、
海はビーナスを。
空は薔薇を創ったという。

でもその争いに今僕が参加したらきっと僕が勝つだろう。
だってビーナスより薔薇よりきれいなものを僕は知っている。
お前の長く整った指先が丁寧に美しい華を飾る。
僕が「きれいだな」と言ったらお前は薔薇の事だと思ったのだろう「ええ、とても」と優しく微笑みながら返した。
お前の指で触れたからきれいなんだ、お前が飾ったからこそこんなにも美しい。優美な花弁を熱心に見つめる僕にお前は意外そうな顔をして「薔薇がお好きなんですか?」と聞いた、だから僕は「ああ、気に入った、こんなにきれいだとは気が付かなかったよ、毎日僕の寝室にお前が飾ってくれ」と言った。お前の全てが僕のものだったら良いのに。彼の声、立ち居振舞い、その姿が、みんなみんなとてもきれいだと僕は思った。
だからいつまでも見つめていたかった。夜になると、僕は彼が活けてくれた美しい花を見つめながらベッドに入る。
そうして、朝、彼が僕にやさしく声をかけて起こしてくれるのを楽しみに眠るのだ。目を覚ますと一番に愛するお前の顔を見れる、これ以上の幸せがあるだろうか?彼は僕の身の回りの世話をしているとはいえ所詮身分の低い解放奴隷に過ぎない男だ。身分違いといえば確かにそうだ。
僕は王様だけど。誰も逆らえない強い強い存在だけど、こうしていつも影から見ているだけ。きっと僕の心の内を誰かが覗いたらさぞ驚いたことだろう。この僕が、一番偉い僕が、ただの下僕に過ぎないこの男に片想いしているなんて。僕が一言命令すれば、彼は僕のものになっただろう、僕に逆らえる人間なんていないんだから。でもそうじゃないんだ。僕が欲しいのは形だけじゃない、そんなものじゃない。

お前が飾ってくれる花を愛でて、お前の姿をいつもそっと見守って、ただそれだけで心が満たされた。
お前は僕に優しく笑いかけてくれるし、お前の姿はいつも僕の視界の端にあった、だから、このままでも良かった。




良かった筈なのに。




お前は自由に生きていればいい、
標本にされた蝶より生きている蝶の方が綺麗だ。
剥製の鳥より大空を羽ばたいている鳥の方が美しい。
そう思っていた。






けどお前が他の者を愛したりするから。お前が悪いんだ。僕は悪くない。全てお前が悪いんだ。悪いのは僕じゃない。







僕は毎日お前に薔薇を飾らせた。
おかげで僕の周りはいつも花に満たされていた。
僕はその優美な香りと姿をとても愛した、
それはお前が飾ってくれたものだったから。
クレア ローズ
ミス ヘンリエッテ
モニーク
チャールズ オースチン
ジュード ジ アプスキュア
アストレ
レディ メイアン
ラビーニア
クールボアジエ
エンドレス ドリーム
サリタ
ユーロピアナ
ガーディナル ヒューム
ダム ド クール
クリムソン グローリー
あとたくさん。
僕はいつしか、やけに薔薇の名前に詳しくなった。花なんて、所詮人間には必要の無い、非生産的なものだと思っていたのに気が付けば傍にあるだけでずいぶんと心が豊かになるものだと知った。



ある日。お前が、女と抱き合っているのを見た、見たくなかったけど、こんなの絶対見たくなかったけど仕方が無い。僕はいつもお前を見ていたから。よりによって、その女は宮殿で一番大きな薔薇園の手入れをしている下女の一人だった、僕が、お前とその女を引き合わせたんだ。なんて皮肉なんだろう。こんなのもう笑うしかなかった、いや、もしかしたら笑ってるつもりで泣いていたのかも。どっちだか分からない。僕は、悔しくて悲しくてきっとどうかなってしまったんだと思う。







「お前達部下の日ごろの働きを労って大々的なショーでもまた開催しようじゃないか」
僕の言葉に部下達は湧いた。
僕の重要な腹心達はみな残酷な見世物が大好きな者ばかりだ。よく罪人を集めてはとびきり残酷に処刑して、それを余興にして僕らは歓談する。そんな風に、時には国をも挙げた一大処刑ショーは今までにもよく行われていた事だった、僕の権威を示すのにも丁度よかったし、なにより僕自身がそれを楽しんでいた。国民だって、この上無いこの余興を怖い半分ながら存分に楽しんでいたはずだ。最も近しい部下たちの慰労の為にこのショーを開催するときには何の罪もない者を無作為に選ぶこともあった、別にこれと行った罪を犯さずともそんなものは僕の一存だ。僕が気に入らなければそんな者はただ存在が罪であり生きるに値しないのだから別に構わないんだ。突然、何の覚悟も無く死刑を宣告された者の反応は一段と面白い、暴れて、喚いて、無駄だと知りつつ逃げ回って何とか助かろうと最後まで無様に足掻く。僕らはそれを見てはお腹が痛くなるほど笑い転げるのだ。

お前は一度もこの残酷なショーを見に来る事はなかったね。
お前は、真っ当な人間だからきっとこんな醜悪なものは見たくなかったんだね。
いいんだ、お前はそれでいいんだよ。こんな話をしていたときも、お前はあからさまには嫌悪を示さなかったけどその表情は堅かった、聞きたくないとでも言うようにずっと僕らから目を背けていた。

「主役が美しくて若い女ならなお盛り上がるだろうな、そうだ、僕が直々に選んでやろう、あの女はどうかな?どうせ奴隷の身分だし構うまい」
そして僕はその「女」の名前を口にした。
お前が聞いているのを知ってて。
そうだよ、お前の愛しているあの女だよ。

罪無き女を処刑するというその残酷さに一層目を輝かせた部下達は声を上げて喜んだ。
僕はお前の表情が凍り付いたのを横目で見ていたよ。
きっとビックリしただろうね。
そして、次にお前が出るであろう行動は分かってた。


逃亡を図った二人はついに捕らえられ僕の前に引き出された。
当たり前だ、あれからずっと影で二人を見張らせていたんだから、知らなかっただろ?
けど僕はお前なら絶対そうすると思ったんだ。
それでもわざと一旦は逃がしてやってから散々追い回して捕まえた、
追い詰められたお前達の絶望と恐怖に満ちた顔が見たかったからさ。


「本気で僕から逃げられるなんて思ったのかい?」
拘束された彼らを前に僕は勝ち誇って言い放つ。
僕の言葉に怯えた女が身を強張らせ今にも泣き出しそうな顔をしながら彼に寄り添う、お前は女を庇うように身を乗り出し、精一杯僕を睨み付ける。僕の愛したお前の綺麗な瞳が。いつもは優しく微笑みかけてきてくれたあの瞳が。今は僕を憎しみの対象として見ている。腹が立つなあ。本当に腹の立つ光景だ。でも本当は、僕は今、泣きたいのかもしれない。それでも僕は笑ってやった、お前達を愚かだと見下してやった。だって僕が一番偉いんだ。僕が悲しくて泣く理由なんて無い筈なんだ。そして僕は彼らを離れ離れにして監禁した。
まずは女の方だ。この女が一番悪い、僕を怒らせた、なんてなんて愚かな女だ、誰がこんな女を「まれに見る慎ましく心も姿も美しい女だ」などと言ったのだろう、お前なんか僕の目には少しも美しく映らない。ただただ醜いだけだ。こんなに醜くて厭らしくて汚い存在なのに僕からあいつを奪うなんて。あっさり殺してやるなんてそんな祝福を与えてやるつもりは毛頭無いから覚悟しろ。絶対殺してなんかやらない、なにがなんでも生かして、長く長く苦しめてやる、それこそ死が何よりの恩恵だと思えるくらいに。くくく。ザマアミロ。馬鹿女。


この数ヶ月、何のお沙汰もなくただ逮捕されて幽閉されているだけのお前はそうとう不安だっただろう。
その間、離れ離れにされたあの女の事でも考えていたのだろうか?
部下を引き連れ、突如現れた僕の姿にお前は驚いた。

「僕に逆らった愚か者の顔を見に来てやったぞ」
ああ、逢いたかったよ、この数ヶ月ずっとずっと淋しかった。
少しやつれたかな?だめじゃないか、ちゃんと食べているのか?
でもお前は今でもきれいだよ、僕が何より愛したその長い指も手も足も、整った顔も、何一つ変ってやしない。
質素な囚人服を着せられてもやっぱりお前はきれいだ。僕の目にはそう映る。

「命令違反、奴隷の逃亡補助、僕に対する反逆罪それだけでも与えられるなら10回分は死に値する罪だと言う事は分かってるよな?…特にあの女は許し難いな、自分が助かりたいがためにお前まで巻き添えにしたんだから」
僕の言葉にお前は必死になってかぶりを振って否定した。逃亡を企てたのは自分の方だ、彼女は何も知らなかった、自分に促されるまま事情も良く分からずにただ着いてこさせられただけだ、と。
お前は分かってないね。お前があの女の為に必死になればなるほど、僕がどれだけ傷つくか。
酷いじゃないか、お前、あんまりにも残酷じゃないか。

「お怒りは当然です、でもどうかお慈悲を…死罪にするならどうか私だけを…どんな刑罰でも甘んじてお受けいたしますから…」
お前は膝を着いて額を床に擦りつけて必死に懇願した。

…いいさ。

今のあの女の姿を見てもそんな風に言えるならな。
これからあの女の所にお前を連れていってやるよ。
僕は彼をあの女のいる犯罪者を収監する塔に連れていってやった。
中の様子がよく見える様作られた、塔の上にあるガラス張りの看守部屋に。
そして見せてやった。
ほら、お前の会いたがっていた女はあそこだ。
どうした?なにをそんなに驚いているんだ?
逢いたかったんだろう?
もっと喜んだらどうだ?

お前がそんな顔をしているのは既にあの女が人間の姿をしていないからか?確かに酷い姿だよなあ。

そこには両手足をそれぞれ肘から膝から切断され、歯を一本残らず折られ、見違えるほどに痩せこけて、鎖に繋がれ下賎な罪人達によってたかってに犯されている彼女の姿があった。目が空ろなのは何ヶ月もこんな状態に置かれている所為だけではなかった、
純度の高いヘロインを投与し続けてやったのだ。下衆な馬鹿女に与えるには高価すぎるほどの品だ。ああ、もちろんちゃんと量は調節しているぞ。うっかり死んだりしない様にな、親切だろ?

囚人の男達に女性器や後ろの穴や口まで犯されながら、なおも淫乱に腰を振るその姿はもう理性ある人間ではない、汚らしい雌犬そのものだ、なんて無様なんだろうね、見るのもけがらわしいや。でもとってもお似合いだ。

「…どうして…こんな酷いことを…」
ショックか恐怖かあるいは怒りか、声を震わせながらお前が尋ねる。
「僕は犬が飼いたくてなあ」
愕然とした表情で女の姿を見ていたお前が僕の言葉に目を見開く、「毛並みの良い綺麗な犬が欲しかったんだよ、僕が飼うのに相応しいこの世に一頭だけの犬さ。だから折角だしあれを犬にしようと思って手足を切ったんだけどな、それにしては言う事をまるで聞かないしあまつさえうるさく泣き喚くし手足を返してだのとわけの判らない文句を言うからさ、犬は飼い主に従順であるべきだろう?だから仕方が無い、罰として薬付けにして囚人どもに与えてやったのさ。ま、今更あんなうす汚れた犬なんか要らないからな、そろそろ始末してしまおうと思ってたんだが」
「始末」という僕の言葉を聞いてお前ははっとなった。
僕が一言命令すればあの雌犬の首などあっという間に落ちることは良く分かっている。
お前は拘束されたままの不自由な体で再び僕に土下座し「彼女」への許しを請うた。
罪を与えるなら後生だから自分だけにしてくれと。
まだいうのか。
あんなになっても、まだあの女を助けてくれと僕に懇願するのか。
あんな無様な姿になっても囚人どもの慰み者に成り果てた女でもお前はまだあれが愛しいのか?
ああ、そうなのか、ああ、ああ、そうか、そうなのか、そうなんだ、いいよ、わかったよ。
だから僕は、交換条件を持ちかけた。
「お前が、あの女の代わりに僕の従順な犬になってくれるなら、あの女を開放してやっても良いよ」と。

「もちろん、手足は切らせてもらうよ、犬は四つ足で歩くものだからな、ああそうだ、犬は喋ったりしないからな舌も引っこ抜かせてもらおうか?それでもいいというならね」
お前の顔がみるみる強張った。それはそうだろう。それは人間としての尊厳の一切を捨てさせられると言う事だ、一生みじめに四つん這いになって、口も聞けず、犬として扱われさらし者になって生きるのだ。
彼はしばらく俯いたまま黙っていた。
やがて覚悟を決めたのか、顔を上げ僕を真っ直ぐに見つめた。
「彼女を…助けてくださるんですね…」
「ああいいとも、お前が犬畜生に成り果ててもかまわないと言うなら」
彼は僕の愛したきれいな顔を苦渋にゆがめながら唇を噛締めて大きくうなずき、
そして再び首を垂れた。


僕は勝ち誇って笑っていたつもりだったけど、


本当にあの時笑えていたのかな?



2章へ続く。